瓦屋根が庶民の屋根になった江戸時代
〜江戸時代における物流革命と工法革命による瓦屋根のイノベーション〜
江戸時代、日本は約260年にわたり平和な時代を迎えました。
政治の中心となった江戸には全国から人々が集まり、18世紀には人口100万人を超える世界最大級の都市へと発展します。
しかし、その繁栄の裏には大きな課題がありました。
それは「火事」です。
当時の江戸の建物の多くは木造で、屋根も板葺きや茅葺きが一般的でした。
人口が密集する都市では、一度火災が発生すると強風によって火の粉が飛び、街全体が燃え広がる危険性がありました。
江戸時代は大火との戦いの歴史でもありました。
そして、その対策の一つとして普及していったのが瓦屋根です。
今回は、江戸時代に瓦屋根が庶民の住宅へ広がった背景と、その技術的な進化について解説します。
1.世界最大級の木造都市「江戸」を火事から守るため瓦屋根が広がった
江戸時代の初期では、幕府は火災時に瓦が崩落して消火活動の妨げになることや、贅沢の禁止を理由に、町家への瓦葺きを制限していました。
しかし、1657年に発生した「明暦の大火」をはじめとする大火が相次いだことから瓦葺きが注目されます。
この大火では江戸市街地の大半が焼失し、多くの人命が失われたと伝えられています。
当時の幕府は、防火帯となる広小路の整備や火除地の設置など様々な対策を進めました。
その中で防火対策の切り札として出されたのが建物の防火性能向上、つまり瓦葺きの奨励です。
茅葺屋根や板葺屋根は火の粉が落ちると容易に燃え広がります。一方、瓦屋根は瓦が焼き物であるため燃えません。
もちろん建物全体を完全に守れるわけではありませんが、火災時に屋根から延焼するリスクを低減できるため、防火対策として非常に有効と考えたのです。
8代将軍・徳川吉宗の時代(1720年頃)に、町家への瓦葺きの制限から方針を180度転換し、江戸の町家の瓦葺きを強く奨励するようになりました。
しかし、瓦屋根は高価で庶民には高根の花であり、なかなか普及しませんでした。
この政策を推し進めるために幕府がとったのは補助金政策による資金援助でした。
大岡越前守忠相らを筆頭に、瓦葺きに改造するための「低利・長期(10年年賦など)の資金貸付制度(現在の補助金のような仕組み)」を整えて町人を強力に後押ししました。
この補助金制度から需要が喚起され、供給におけるイノベーションが起こります。
その結果、瓦屋根は寺社や武家屋敷だけでなく、次第に町人の住宅にも広がっていきます。
江戸時代は、瓦屋根が特別な建築物のための屋根から、庶民の暮らしを守る屋根へと変化した時代だったのです。
2.海上輸送により三州瓦が江戸の屋根を支えた
瓦屋根の奨励における補助金制度で瓦屋根の需要が喚起され瓦屋根市場が形成されると、その市場に三州瓦が大量に供給され、江戸の町に瓦屋根が一気に普及しました。
この三州瓦とは、現在の愛知県西三河地方で作られる瓦のことです。
愛知県西三河地方では瓦の製造に適した良質な粘土が採れました。また、高温焼成によって耐久性に優れた品質の高い瓦が作られていました。
しかし、三州瓦が江戸で普及した一番の要因は、三河から江戸へ物品を運ぶ海上ルートが確立されていたことです。
100万人規模の巨大消費都市となった江戸では、食料品の消費も多く、酒、味噌、たまり醤油、みりん、酢などの醸造品においても巨大な需要がありました。
愛知県の知多半島や三河地域は、温暖な気候と良質な水を活かした醸造業の一大生産地だったので、その江戸の巨大な需要に応えるために、酒、味噌、たまり醤油、みりん、酢などを地元の廻船問屋たちの手によって江戸に運ぶルートを確立していました。
陸上輸送が中心だった時代、大量の瓦を長距離輸送することは容易ではありませんでしたが、海上輸送を利用すれば重い瓦でも効率よく輸送することが出来ます。
三州瓦は江戸の瓦需要に対して既存の海上輸送ネットワークを利用することで輸送問題を解決したのです。
焼成温度が高く高品質な三州瓦という製品のポテンシャルの高さも相まって、三州瓦は大量に江戸へ運ばれ、江戸の瓦屋根に使われたのです。
現在でも愛知県の三州瓦は日本最大の瓦産地として知られていますが、その基盤は江戸時代に築かれたと言えます。
3.発明家・西村半兵衛とロウソク桟瓦
瓦屋根の奨励によって需要が喚起された瓦屋根市場に対して、瓦屋根が普及したもう一つの理由が製品と工法のイノベーションです。
近江大津の瓦工である西村半兵衛が本葺き瓦の平瓦と丸瓦を一体化させた「ロウソク桟瓦」を発明し、3年の開発期間を経て、延宝2年(1674年)に製品が完成したと言われています。
この「ロウソク桟瓦」が現在の和形瓦(J形瓦)の原型になっています。
本葺き瓦の平瓦と丸瓦を一体化させ、切り込みを入れた製品形状としたことにより、屋根への施工性が飛躍的に向上しました。
それまでの本葺き瓦に比べて施工手間を大幅に減らすことが出来たのです。
また、2種類の異なった形状の瓦を作るのに比べて一体型で1種類の瓦を作る方が、生産性が高く、大量生産においても有効でした。
瓦屋根を特別な建築物のための屋根から、庶民の暮らしを守る屋根にするためには、瓦屋根のコストを下げる必要がありました。
この「ロウソク桟瓦」の開発により、施工コストが大幅に下がり、更に大量生産によって製品コストを下げ、瓦屋根のコストを下げることが出来たのです。
前述の海上輸送による輸送コスト削減も相まって、瓦屋根は高級屋根材から一般の人が使える普及品の屋根材に変わっていったのです。
4.江戸時代に完成したいぶし瓦の美
安土桃山時代にはじまった「いぶし瓦」の技術は、江戸時代に大きく発展しました。
いぶし瓦は焼成工程の後に薪などの燃料をくべて窯の空気口を完全に塞ぎ燻化します。
高温条件下で空気(酸素)の供給を止めることで炭素が還元状態となり瓦の表面に炭素が蒸着し、炭素被膜が形成されます。
この瓦表面に形成された炭素被膜が独特な渋い銀色の輝きを生み出し、「いぶし瓦」が完成します。
江戸の町に普及した三州瓦はいぶし瓦だったので、江戸の町並みに連なる銀色の瓦屋根が、現代の私たちが思い描く日本の原風景となったのです。
また、炭素被膜で表面をコーティングする「いぶし」の技術は、単に色を綺麗にするだけでなく、瓦の防耐水性を高める(雨水を吸い込みにくくする)効果があります。
いぶし瓦は、多孔質体である瓦表面に炭素被膜を形成するので、吸水性を抑え、耐水性を高めることが出来るのです。
5.まとめ:江戸時代の大火で瓦屋根が普及した理由
今回のコラムのポイントは次です。
江戸の大火を防ぐために瓦屋根が奨励された
補助金制度により瓦屋根のニーズが高まり瓦屋根の市場が形成された
海上輸送ルートの利用、製品品質で優位性が高い三州瓦が江戸で普及した
西村半兵衛の開発したロウソク桟瓦で製品コスト、施工コストを下げることが出来た
いぶし瓦の完成により、瓦屋根が日本の原風景となった
江戸時代は、瓦屋根が庶民の暮らしへ広く浸透した時代でした。
その背景には、明暦の大火に代表される度重なる火災への対策がありました。
三州瓦を効率よく運ぶ海上輸送、いぶし瓦の技術的な成熟、ロウソク桟瓦の製品開発などが相まって、瓦屋根が庶民の暮らしを守る屋根になりました。
現代の町並みに残る瓦屋根には、火災と向き合いながら安全な都市づくりを目指した江戸時代の人々の知恵と技術が受け継がれています。
飛鳥時代に日本へ伝わった瓦は、奈良時代に国家事業を支え、安土桃山時代には城郭建築を彩りました。そして江戸時代になると、庶民の暮らしを守る屋根として広く普及したのです。
これからも、この屋根コラムで後悔しない屋根材選びをするために、日本の屋根の歴史や技術、そして未来について、出来るだけ分かりやすく発信していきたいと思います。
