質素倹約、実用性に優れた杮葺が好まれた鎌倉時代
〜鎌倉時代の屋根に求められた機能性〜
平安時代の貴族たちは、広大な敷地に優雅な寝殿造を築きました。一方、鎌倉時代になると政治の中心は武士へ移り、住まいにも実用性が求められるようになります。
武士たちが暮らした館は「武家づくり」と呼ばれ、周囲を堀や土塁、柵で囲んだ防御性の高い構造が特徴でした。平時は生活の場として、戦時には防御拠点として機能するよう考えられていたのです。
建物の中心には主殿が置かれ、その周囲に厩(うまや)や物見櫓などが配置されました。
出入口は敵が侵入しにくいよう直線ではなく折れ曲がった形状とされ、館全体が一つの防御施設として計画されています。
屋根にも武士らしい合理性が見られます。
薄い木板を何層にも重ねる杮葺は、耐久性とコストのバランスに優れた屋根材でした。
質素倹約を重んじる武士社会の価値観にも合致し、禅宗寺院や武家関連の建築でも多く用いられるようになりました。
武家づくりの館を見ると、鎌倉時代の建築が豪華さよりも実用性を重視していたことがよく分かります。そして、その考え方は屋根材の選択にも表れていたのです。
1.実用的な屋根材「杮葺」が注目された鎌倉時代
鎌倉時代は武士による初めての本格的な政権である鎌倉幕府が誕生した時代です。
政治の中心が京都から鎌倉へ移り、貴族文化中心の社会から武家社会へと変化しました。
武士たちが重視したのは、見た目の豪華さよりも実用性です。
平安時代の高級屋根材である檜皮葺は美しい反面、施工には多くの材料と職人の技術を必要としました。
また当時の瓦葺は、檜皮葺と同様に高級屋根材であり、瓦屋根にするには財力が必要だったので、質素・倹約を進める幕府の方針とは合致しませんでした。
しかし、茅葺では見栄えや耐久性の面でも武家屋敷には向いていませんでした。
そこで注目されたのが茅葺と檜皮葺の中間に位置する杮葺です。
杮葺はサワラなどの木材を薄く加工した杮板を重ねて施工します。
軽量でありながら雨仕舞に優れ、材料も比較的調達しやすいことから、鎌倉時代の価値観に合った屋根材として広まっていきました。
まさに「コストと性能のバランスに優れた屋根材」と言えるでしょう。
※ このコスト比較の表記は鎌倉時代でのコスト比較です。現代では茅葺、杮葺、檜皮葺は高級屋根材であり、瓦葺の瓦は工業化により量産体制が整いコストが大幅に下がったことで普及屋根材になっています。
2.杮葺と円覚寺舎利殿
杮葺は、日本古来の伝統的な屋根葺技術の一つです。
木材の薄い板を幾重にも重ねて屋根を葺く工法で、杉や椹(サワラ)などの良質な大径木を厚さ1分~2分(3~6mm)程度の薄板に加工して杮板にします。
杮板のサイズは幅3寸(90mm)×長さ1尺(300mm)です。
この杮板を竹釘で軒先側から固定し、流れ方向で1段ずつ1寸(30mm)葺き足をずらし、桁方向で千鳥に(45mm)ずらして施工します。
下の図は杮葺の施工の様子をあらわした図です。
縦長の杮板を9割ほど重ねて施工します。
平安時代の檜皮葺が貴族文化の象徴だったとすれば、鎌倉時代の杮葺は武士文化と禅宗建築を支えた屋根材と言えます。
粘りのある木材の特性を活かして板を曲げながら施工することで綺麗な曲面を作ることが出来る屋根材です。
鎌倉時代の杮葺を代表する建築が円覚寺舎利殿です。
瓦葺きと異なり隅棟が面で繋がっているため、シンプルでシャープな美しさがあります。
下の図は円覚寺舎利殿をイメージした図です。
円覚寺は1282年、北条時宗によって創建されました。元寇で命を落とした人々を供養するために建立された禅寺であり、鎌倉武士の精神文化を象徴する存在でもあります。
現在の舎利殿は室町時代の建築ですが、禅宗様建築の特徴を色濃く残し、杮葺屋根の美しさを今に伝えています。
3.鎌倉幕府ご用達の屋根材は?
鎌倉幕府のご用達の屋根材は?と聞かれたとき、答えに詰まります。
奈良時代が国家権威の象徴である瓦屋根を使い、平安時代は優雅な檜皮葺が使われていましたが、鎌倉幕府はというと、檜皮葺も使えば杮葺も使い、瓦屋根も使っています。
時期や状況などにより、使い分けがされていたと考えられます。
鎌倉幕府の中心であった将軍御所の近くには、武士の精神的支柱であった鶴岡八幡宮がありました。
鶴岡八幡宮は源頼朝によって整備され、鎌倉の都市計画の中心として位置づけられていました。
鶴岡八幡宮をはじめ、当時の主要建築には檜皮葺が採用されていたと考えられています。
鶴岡八幡宮は武士の都・鎌倉の精神的中心であり、将軍の威信を示す建築でもありました。
将軍の威信を示す建築には依然として高級屋根材であり檜皮葺が用いられていた一方で、武士社会全体では実用性を重視する流れが強まります。
その結果、寺院や武家関係の建築では杮葺が多く用いられるようになりました。
檜皮葺が権威を象徴する屋根だったとすれば、杮葺は武士社会を支えた実用的な屋根だったのです。
しかし、鎌倉時代のすべての主要建築物が杮葺になったわけではありません。
北条重時が創建した極楽寺は、大寺院として建立され、主要な建物には瓦葺が採用されていました。
瓦は耐久性や防火性に優れるだけでなく、古くから国家的寺院に用いられてきた格式ある屋根材でもあります。
寺院としての威厳と北条氏の権威を象徴する為に極楽寺では瓦屋根が使われたのかもしれません。
ちなみに、現在の鶴岡八幡宮は銅板葺きになっています。
下の写真は本堂の前から見降ろした舞殿です。静御前が義経を慕い、心をこめて舞った若宮廻廊跡に建ち、下拝殿とも言います。
4.時間と共に変化していった極楽寺の屋根
鎌倉市にある極楽寺は、屋根の変遷を知る上で興味深い寺院です。
極楽寺は、1259年に創建された鎌倉で唯一の真言律宗の寺院です。
現在は江ノ電沿いの静かな佇まいですが、最盛期には49もの支院を抱える、鎌倉幕府きっての大寺院(巨大福祉施設)でした。
鎌倉幕府第2代執権・北条義時の三男である北条重時(しげとき)が、出家後にこの地に極楽浄土を再現しようと大寺院の造営を計画し、重時が亡き後、子の長時・業時兄弟が父の遺志を継いで完成させました。
当時の極楽寺は高級屋根材である瓦葺きでした。
極楽寺周辺の発掘調査では高品質な瓦が多数出土しており、極楽寺の主要な建築物が瓦葺であったことが確認されています。
しかし、その後の戦火や火災、地震によって大伽藍は失われました。
再建が繰り返される中で建築規模は縮小し、屋根材も時代とともに変化していきます。
現在の本堂は銅板葺となっていますが、再建と消失を繰り返すたびに屋根が変化していったと考えられています。
下の写真は、ひっそりと佇む2025年の極楽寺の本堂です。
銅板葺の緑青が極楽寺の長い歴史を感じさせます。
5.まとめ:鎌倉時代の屋根は実用性を求めていた
今回のコラムのポイントは次です。
鎌倉時代の屋根は実用性を重視した
檜皮葺や瓦葺きよりもコスパの高い杮葺が増えた
極楽寺では瓦葺きも使われた
再建時に屋根材は時代に合わせて変化する
奈良時代の瓦屋根が国家権力を象徴し、平安時代の檜皮葺が貴族文化を彩ったのに対し、鎌倉時代の屋根は実用性を重視する方向へ進化しました。
その代表が杮葺です。
軽量で施工しやすく、耐久性にも優れた杮葺は、武士社会の価値観に合った合理的な屋根材でした。
円覚寺舎利殿に代表される禅宗建築の美しさは、派手な装飾ではなく、機能の中に宿る美しさを私たちに教えてくれます。
鎌倉時代の屋根を見ていると、武士たちが求めた「質実剛健」という精神が、屋根の形にも表れているように感じられます。
これからも、この屋根コラムで後悔しない屋根材選びをするために、日本の屋根の歴史や技術、そして未来について、出来るだけ分かりやすく発信していきたいと思います。
