国家事業となり巨大瓦屋根が生まれた奈良時代
〜奈良時代に確立した瓦の量産体制〜
飛鳥時代に朝鮮半島から伝わった瓦屋根は、奈良時代になると大きく発展しました。
奈良時代(710年~794年)は、日本初の本格的な都である平城京が造営され、国家による大規模な建築事業が数多く行われた時代です。
寺院や役所(官衙)の建築が全国で進められ、それに伴い瓦の量産が必要となり、瓦用の窯が多く作られ、瓦の生産力が飛躍的に向上しました。
現代では瓦屋根は住宅にも広く使われていますが、奈良時代の瓦屋根は誰でも使える屋根材ではありませんでした。
瓦屋根は国家や仏教の権威を示す特別な屋根であり、まさに当時の最先端技術だったのです。
今回は奈良時代に発展した瓦屋根について解説します。
1.奈良時代に確立した瓦の量産体制
奈良時代になると、飛鳥時代に大陸から伝来した最先端の瓦製造技術を用いて量産体制の確立が進められます。
平城京の建設に伴い、多くの寺院や役所が建設されました。
その結果、瓦の生産量が飛鳥時代とは比較にならないほど増加します。
現代の瓦はオートメーション化された工業製品ですが、当時の瓦は一枚一枚が手作業で作られていました。
瓦の製造工程は成形、乾燥、焼成という工程です。
同じ形状の瓦を量産するために、成形工程では「桶巻き作り」という成形方法が使われました。
この成形方法により均一な形状で量産体制が可能になったのです。
成形後は天日干しで乾燥させ、乾燥後に窯で焼成して瓦として完成します。
瓦は屋根材として完成した後も問題があります。
瓦は重量物であり、さらに割れやすいため、運送するのに甚大な労力がかかるのです。
そのため、瓦の運送は舟による運送が利用されていました。
川や海の近くに瓦の窯を作ることで舟を用いた水運により重量物の瓦を大量に運ぶことが出来たのです。
巨大建築を作る国家レベルのプロジェクトのために、最初に取り組んだのが瓦の量産体制の確立だったのです。
2.国家権力を象徴する瓦屋根
奈良時代の瓦屋根は単なる雨よけではありませんでした。
瓦屋根には国家の権威や仏教の力を示す意味がありました。
当時の一般庶民の住まいは、
・ 茅葺き
・ 板葺き
などの自然素材が中心です。
一方で瓦屋根は、
・ 寺院
・ 役所(官衙)
・ 国家事業として建設された建物
に限定されていました。
国家権力の象徴として建てられた有名な寺院は
・ 東大寺
・ 興福寺
・ 薬師寺
があります。
東大寺は、全国の国分寺・国分尼寺の総本山みたいな位置付けであり、奈良時代の仏教行政の中心となる大寺院です。
興福寺は、藤原氏の氏寺であり、藤原氏の権力の象徴となる大寺院です。
薬師寺は、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を願って建立を発願した寺院で、飛鳥に建てられた後、平城京遷都に伴い奈良へ移転した国家権力の象徴となる大寺院の一つです。
また、国家権力の象徴となる寺院が全国に広がったのが国分寺の全国への建立です。
国分寺建立の詔(みことのり)は、奈良時代の741年に聖武天皇が発した勅命で、全国に国分寺と国分尼寺を建立するよう命じたものです。
国家鎮護と仏教による統治理念を象徴する政策として出され、
尾張国分寺(愛知県)
三河国分寺(愛知県)
武蔵国分寺(東京都)
讃岐国分寺(香川県)
など、全国60か国あまりに建設されました。
そしてこれらの寺院には全て瓦屋根が使われました。
瓦屋根が見えれば、
「国家や仏教に関係する特別な建物」
であることが一目で分かったのです。
現代で例えるなら、高層ビルや超高層タワーが都市のランドマークになるのと似ているかもしれません。
全国60か国あまりの国分寺の建立のために全国で瓦が必要になります。
その際、瓦は重量物で運送が大変なので出来るだけ需要地の近くに瓦の窯を作ることが求められます。
瓦作りに適した粘土が採れること、瓦の焼成で窯に使用する薪が採れること、重量物である瓦を運送できるように川や海などが近くにあること、などが生産地の条件となり、全国に瓦の生産方法、生産技術が伝わり、全国に瓦の窯が作られることで、飛躍的に瓦の生産能力が高まるのです。
下の図は当時の瓦窯をイメージした図で、東大寺の再建時(鎌倉時代)に東大寺の瓦を作ったとされる「万富東大寺瓦跡」の資料を参考にしてイメージ図を作っています。
全国に国分寺が建立されるのに対応して、この様な瓦窯が全国に作られて、全国に瓦の量産体制が整っていったのです。
3.東大寺の巨大瓦屋根に載る巨大瓦
奈良時代の瓦屋根を語るうえで欠かせないのが東大寺です。
東大寺 は聖武天皇によって建立が進められた国家的事業でした。
大仏殿は世界最大級の木造建築として知られていますが、その巨大な瓦屋根を作るためには大量の瓦が必要でした。大仏殿だけで13万枚の瓦が使われていたと言われています。
現代の住宅用瓦屋根が千枚程度であることを考えると、その規模が桁違いであることが分かります。
この東大寺で使われている瓦ですが、現在の一般住宅に使われる瓦と比較するとかなり大きなサイズの瓦です。
瓦が大きくなった理由としては、屋根の大きさに合わせて瓦のサイズが大きくなったという説があります。巨大な屋根に意匠的にマッチする瓦のサイズとして、大きくする必要があったと考えられています。
所説はいろいろありますが、実際に現在の瓦と比べるとそのサイズの大きさに圧倒されます。
下の図は東大寺で使われた瓦の大きさをイメージした図です。
平瓦と丸瓦を組み合わせることで雨を取る構造になっています。
4.瓦屋根に寄付をする習慣
奈良時代には寺院建設を支援するため、多くの人々が寄進を行いました。
聖武天皇が東大寺の大仏造立の発願の詔を発した際、「人々に協力を強制するのではなく、一枝の草、一握の土でもよいから、自発的に大仏づくり(および東大寺建立)に協力してほしい」と呼びかけたと言われています。
また、当時絶大な民衆の支持を集めていた僧・行基が東大寺建設の大事業を率い、多くの民衆から資材や労力の「寄進」を集めたともいわれています。
大仏殿に葺かれた巨大な瓦屋根も、こうした結縁(仏教的なつながり)の精神によって支えられています。
この寄進の文化は現代にも受け継がれ、東大寺の大仏殿では寺院の修復工事や保存活動の際に、瓦の寄進を集めています。
瓦の裏面に願い事や名前を墨書きして納めることができます。
そして奉納したその瓦は実際に大仏殿などの屋根瓦として使用されるというものです。
私自身も7年前の2019年に東大寺を訪れ、瓦の奉納を行いました。
商売繁盛、心願成就、瓦業界復活を願って東大寺に瓦を奉納してきました。
東大寺で奉納した瓦の写真を見るたびに、当時願った「瓦業界復活」という思いを思い出します。
その後、タイルーフの特許工法の開発や製品化に取り組むことになったこともあり、私にとってこの奉納は特別な思い出となっています。
5.まとめ:東大寺の巨大瓦屋根は国家権力の象徴
飛鳥時代に伝来した瓦屋根は、奈良時代になると国家事業として大きく発展しました。
奈良時代の瓦屋根は、
最先端の建築技術
仏教文化の象徴
国家権力の象徴
という役割を担っていました。
特に東大寺のような巨大建築に使われた瓦は、単なる屋根材ではありません。
そこには国家の財力、技術力、そして人々の信仰心が凝縮されています。
屋根の歴史を振り返ると、奈良時代は日本の瓦屋根が本格的に花開いた時代だったと言えるでしょう。
そして、その巨大な瓦屋根は1300年後の現在でも私たちに当時の国家プロジェクトの壮大さを伝えてくれているのです。
これからも、この屋根コラムで後悔しない屋根材選びをするために、日本の屋根の歴史や技術、そして未来について、出来るだけ分かりやすく発信していきたいと思います。
