弥生時代の屋根から見えてくる、暮らしと財産を守る屋根の機能
〜弥生時代の屋根に見る、気候との共存、日本建築の原点〜
縄文土器 弥生土器 どっちが好き?
ともに暮らそう 屋根の下 稲作定住 ♪
これは、レキシのヒット曲「狩りから稲作へ」の一節ですね。
この屋根コラムのために作った曲と言っても良いぐらい歌詞がはまってます(笑)
狩りが中心の縄文時代は、住居は簡易的なもので問題ありませんでした。
その暮らしが約2200年前に大きく変わりました。
それは、縄文時代の狩猟から弥生時代の稲作への暮らしの変化です。
縄文時代のその日暮らし的な狩猟中心の生活から、弥生時代は定住を前提とした暮らしへと変わっていきました。
下の図は、弥生時代の住居と集落のイメージです。
稲作は、収穫した穀物を長く保存する必要がある暮らしでした。
そのため、人々は「雨」や「湿気」から暮らしと財産を守る必要に迫られたのです。
そして、その暮らしの変化とともに屋根が求められる機能も変わっていったのです。
1.狩猟から稲作への変化が床と壁を作った
縄文時代の代表的な住まいは竪穴住居でした。
地面を掘り下げ、その上に屋根を掛ける構造で、断熱性に優れた合理的な住まいだったと言われています。
移動や自然との共存を前提とした縄文時代の暮らしには適した住居だったとも言えます。
しかし、時代は狩猟から稲作に変わり、一箇所に定住して人々が協力し合いながら計画的な作業を行うように変わっていきます。
春には田植え、秋には刈り入れを行う年間を通した計画的な暮らしです。
稲作では、刈り入れをしたお米で一年間を暮らす前提ですが、不作の年もあるので出来るだけ長く保存したいという考えから、縄文時代には無かった貯蔵、貯蓄、財産という考え方が強くなっていきました。
お米を長期間、保存するのに大敵なのは湿気やカビ、虫、ネズミなどです。
日本は雨も多く、高温多湿な気候なので、特に湿気からお米を守る必要があったのです。
そこで登場したのが高床式住居や高床式倉庫です。
高床式住居とは、床を地面から持ち上げることで、床下に風を通し、湿気を逃がす。さらにネズミや虫から穀物を守る住居ですね。
これは現代住宅でいう床下換気や通気工法にも通じる考え方です。
また、床が生まれたことで壁の概念も明確になっていきます。
縄文時代の住まいは、屋根がそのまま壁を兼ねるような構造でしたが、弥生時代になると、
・床
・壁
・柱
・屋根
の役割、機能が分かれ始めます。
弥生時代の床の進化から壁が進化し、住居における屋根の役割が明確になっていったのです。
2.通気は湿気から穀物を守る人々の知恵
弥生時代に生まれた住居様式である高床式住居は、通気を考えた住居です。
まだ、この時代の住居には天井はなく、屋根下空間に居住空間がある構造です。
高気密高断熱の現代の住宅とは思想が異なり、気密性は全くありません。
高低差が有り大空間で解放されている床下空間に床板と茅葺の屋根ですので、床下から給気し屋根で排気する構造となり、煙突効果が発揮され非常に効率が良い通気構造と言えます。
空調設備で冷暖房を行う現代の住宅と比べ、通気をメインにした住居は、湿気を防ぐだけでなく、夏の暑さを効率よく防ぐ住居なのです。
低い所から高い所に空気の流れが出来る煙突効果により住居全体が効率的な換気を行っているこの構造は、居住空間全体で現代の小屋裏換気に近い役割を果たしていたとも考えられます。
3.雨から壁を守るための軒の出と破風の出
壁が出来ると、新たな問題が生まれます。
それは「雨」による湿潤や腐朽による壁の劣化現象です。
日本は世界的に見ても雨の多い国です。さらに台風や横殴りの雨も多く、壁に直接雨が当たると、壁は腐朽や劣化が進みやすくなります。
そこで重要になったのが、軒の出と破風の出です。
屋根の軒先を壁より外側に伸ばす寸法が軒の出寸法、屋根のケラバ(破風)を壁より外側に伸ばす寸法が破風の出寸法と呼びます。
この軒の出寸法、破風の出寸法を大きく取ることは、雨が直接壁に当たることを防ぎます。
屋根で軒の出や破風の出を大きく取ることで、壁の雨掛かりを減らし、壁の湿潤を防ぎ、住居の耐久性を高めることが出来るのです。
これは雨が多く湿気が多い日本の気候の中で生まれた非常に合理的な技術でした。
特に妻側は風雨の影響を受けやすいため、破風の出も重要な役割を持っていたと考えられます。
さらに軒には、日差しを制御する効果もあります。
夏の高い太陽を遮り、冬の低い太陽光を室内へ取り込む。現代でいうパッシブ設計に近い考え方です。
また、軒が深いことで窓を開けたままでも風を取り込みやすくなり、日本建築特有の「風を通して暮らす」という文化にもつながっていきます。
軒や破風は単なるデザインではありません。
日本の屋根は、壁を守り、日差しを制御し、風を通すために進化してきたのです。
家全体で通気する高床式住居は、日本の高温多湿な気候の中で暮らすための工夫でした。
日本建築の根本思想は、2200年以上前から大きく変わっていないのかもしれません。
4.夏をむねとする家づくりは、屋根が家を守り、財産を守り、暮らしを守る
鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した 吉田兼好 は、『徒然草』の中で有名な言葉を残しています。
「家の作りやうは、夏をむねとすべし」
つまり、「家づくりは夏を中心に考えるべきだ」という意味です。
日本の家づくりは、寒さよりも湿気や暑さとの戦いだったことを表した言葉として知られています。
私は、この吉田兼好が語った「夏をむねとする家づくり」の思想は、弥生時代から続く日本建築の知恵の延長線上にあったのではないかと思っています。
高床式住居による通気。
深い軒による日射遮蔽。
風を通すための開放的な構造。
これらはすべて、日本の高温多湿な気候の中で暮らすための工夫でした。
縄文時代の屋根は、人を雨風から守るためのものでしたが、弥生時代の屋根は人だけでなく、壁を守り、家を守り、穀物を守るようになりました。
それは「財産を守る」という役割です。
稲作によって、人々は食料を蓄えるようになりました。
保存した米は、生きるための財産そのものであり、その財産を守り暮らしを守り続ける家もまた財産なのです。
家は人生最大の財産と言われます。
そして屋根は、その家を最前線で守り続けています。
台風、豪雨、紫外線、熱。
屋根は常に過酷な環境にさらされています。
弥生時代から続く「屋根で暮らしを守る」という思想は、今も変わらず続いています。
5.まとめ:弥生時代の屋根に見る、人々の財産を守る屋根の役割
今回のコラムのポイントは次です。
弥生時代から家は人と財産を守るものとなり、その家を屋根が守った
高床式住居は家全体が通気構造になっていて湿気を防ぐ
軒の出や破風の出で壁の雨掛かりを減らし家の耐久性を高める
「屋根で暮らしを守る」という思想は弥生時代から始まる
弥生時代の高床式住居は日本建築の原点が見えてきます
2200年前の弥生時代から屋根は、厳しい自然環境から人々の暮らしや財産を守っているのです。
これらはすべて、日本の気候と向き合う中で生まれてきた知恵でした。
日本の建築は、自然に逆らうのではなく、自然と付き合いながら進化してきた建築です。
そしてその中心には、常に屋根がありました。
屋根は、ただ雨を防ぐだけのものではありません。
家を守り、財産を守り、暮らしを守る。
その思想は、2200年前の弥生時代から、現代へと受け継がれているのです。
これからも、この屋根コラムで後悔しない屋根材選びをするために、日本の屋根の歴史や技術、そして未来について、出来るだけ分かりやすく発信していきたいと思います。
