度重なる震災で軽い屋根が主役になった平成時代(後編)
〜平成30年で大きく変わった屋根材勢力図〜
平成時代の住宅屋根材市場では、平板瓦と化粧スレートが主役の座を争いました。
和風住宅が減少し、洋風住宅やシンプルな外観の住宅が増える中で、化粧スレートは施工性とコストの面で大きくシェアを伸ばしました。
一方、瓦業界はシンプルだけどボリューム感のあるデザインと瓦割りが不要で施工性が向上した平板瓦で化粧スレートに対抗していきます。
しかし、平成時代の後半になると、この競争の構図は大きく変わっていきます。
2011年に起こった東日本大震災、地球環境問題、太陽光発電の普及。
これらの要因が重なり、屋根材に求められる価値は大きく変化しました。
昭和時代に重視された「耐久性」や「重厚感」よりも、平成時代では「軽さ」が屋根材選びの大きな基準となっていったのです。
1.化粧スレートのアスベスト問題によるノンアスベスト化
平成時代、化粧スレートは住宅屋根材として急速に普及しました。
軽く、施工性が良く、工期が短く、シンプルな外観で価格も比較的安い。
特にローコスト住宅にとって、化粧スレートは非常に相性の良い屋根材でした。
しかし、その化粧スレートは大きな転換点を迎えます。
それがアスベスト問題です。
2000年以前の化粧スレートには、補強材としてアスベスト(石綿)が使用されていました。
補強繊維材料として安価で耐久性に優れていたアスベストですが、人体にアスベストが入ってしまったときの発がん性が問題となり、規制が強化されていきます。
その結果、化粧スレートはノンアスベスト化へ大きく舵を切ることになりました。日本では2006年に原則使用禁止となっています。
ところが、ノンアスベスト化した初期の化粧スレートで施工後に割れが発生するという強度面での問題が表面化しました。
施工中、施工後に化粧スレートが割れてしまうこの状況は、現場を大きく混乱させ、大きな問題となりました。
それまで順調にシェアを伸ばしてきた化粧スレートでしたが、このノンアスベスト化の過程で一時的に大きく勢いを落とすことになります。
化粧スレートはアスベスト規制という社会的な流れに対応する必要がありましたが、その過程で失った信頼を取り戻すまでには時間を要しました。
そして、その空白を埋めるように伸びていったのが平板瓦でした。
更に、この2000年以降の化粧スレートのノンアスベスト化が、現在の金属屋根材によるカバー工法の増加に繋がっています。
2.平板瓦の瓦不足が防災平板瓦を普及させた
ノンアスベスト化による割れ問題で化粧スレートのシェアが低下した2000年頃、その代替屋根材として平板瓦の需要が急増しました。
平板瓦は、従来の和瓦とは異なり、洋風住宅やシンプルな住宅デザインにも合わせやすい屋根材です。
瓦の耐久性を持ちながら、現代住宅に合うすっきりとしたデザインを持っていたため、化粧スレートよりもワンランク上の屋根材として位置づけられていました。
また、基本的に瓦割りを必要とせず、屋根に合わせて加工する施工方法は、化粧スレートと同じであり、化粧スレートのアスベスト問題を契機に平板瓦のシェアが増えています。
瓦業界はこの需要増加に対応するため、こぞって平板瓦の増産に向けた設備投資を進めました。
しかし、自動化が進んだ瓦の生産設備は直ぐに出来上がるものではありません。
100m程度の焼成炉の築炉工事、100m程度の乾燥炉、大型プレス機、平板専用の乾燥パレット、焼成台車の製作など、多大な時間と費用がかかります。
そのため、一時期は平板瓦の在庫がほとんどないという異例の状況が発生しました。
そして、このタイミングで製品開発が完了し、かつ、焼成効率が高い自立焼成技術で生産できる防災平板瓦が登場しました。
この防災瓦の開発ストーリーについては、「第1章 台風から家を守る(特別編)」」に詳しく書かれているので興味があれば読んでみてください。
通常、屋根業界は新製品や新技術に対して慎重です。
屋根は一度施工すれば長期間使われるため、実績のない製品はなかなか採用されません。
ところが、この防災平板瓦は平板瓦不足という追い風を受けて異例のスピードで市場に広がっていきました。
防災平板瓦は、製品性能が向上し、かつ価格は据え置きという付加価値の向上と、平板瓦そのものが不足していたという市場環境が揃ったことで、瓦業界を代表するヒット商品へと成長しました。
次の写真は、瓦同士が連結することにより耐風性能を大幅に向上させた防災平板瓦の連結部です。
3.耐候性が高いグラッサ塗装と軽量厚型屋根材「ルーガ」の誕生
平成12年以降は、化粧スレートと平板瓦の競争が激しさを増します。
化粧スレートは平板瓦と競合するうえで、表面塗膜の耐久性能向上を行った仕様を市場に提案します。
紫外線、熱劣化等からも変色しにくい塗装「グラッサ塗装」です。
グラッサ塗装は、無機系顔料を使用した高耐候塗装仕様で、従来の塗装仕様と比べて色あせしにくく、美観を長く保つことを目的として開発されました。
化粧スレートは、ノンアスベスト化による強度問題で一時的に信頼を落としましたが、グラッサ塗装によって耐候性という新たな価値を打ち出します。
さらに化粧スレートのメーカーは、瓦屋根に対抗するための新しい屋根材を投入します。
それが軽量厚型屋根材「ルーガ」です。
ルーガは、セメントと樹脂を基材とし、表面の着色層は耐候性の高いグラッサ塗装を用いた軽量屋根材です。
平板瓦の約半分という軽さでありながら、瓦のような重厚感を持つ「ルーガ」は、平板瓦対策の切り札としての屋根材だったと言えます。
しかし、市場は「ルーガ」に対してあまり好意的ではありませんでした。
住宅のローコスト化が進むのと同時に屋根材への低コスト要求が強まります。
ノンアスベスト化による割れ問題をクリアした化粧スレートは、ローコストと高い施工性でシェアを戻していきます。
「ルーガ」は平板瓦と同等以上の価格設定だったので、平成のコスト至上主義的な住宅市場からは歓迎されませんでした。
「ルーガ」がターゲットとしていた平板瓦は、化粧スレートの挽回により徐々にシェアを落としていきます。
その結果「ルーガ」は、平板瓦と本格的に戦う前に屋根材市場が変わってしまい、平板瓦と共にそのポジションを失ってしまったのです。
次の写真は、ルーガの写真です。
平板瓦のようなボリューム感を持ちながら平板瓦の半分の重量の軽量屋根材である「ルーガ」は、技術者・開発者目線でみると非常に画期的な商品でしたが、世に出たタイミングと時代の波とがマッチしなかったため、大きなシェアを獲得することが出来なかったのではと思います。
そして、平成の終わりごろから屋根材市場を大きく変えていったのは、平板瓦でも化粧スレートでもなく、それまで全国的には注目されてこなかった金属屋根材でした。
4.東日本大震災とソーラーパネルで金属屋根材が屋根の主役に
阪神淡路大震災以降、日本各地で大きな地震が発生し、住宅業界では屋根の重さが問題視されるようになっていきました。
重い屋根は建物に大きな負担をかける。
この認識が広がる中で、屋根材には軽量性が強く求められるようになります。
その流れを決定的にしたのが、2011年の東日本大震災です。
東日本大震災では、津波や建物被害だけでなく、福島第一原子力発電所の事故によって日本のエネルギー政策そのものが大きく見直されることになります。
原子力発電への依存を見直す動きが強まり、電力不足への不安も広がりました。
さらに、地球温暖化などの環境問題への関心の高まりや、再生可能エネルギーの中心的な発電方法である太陽光発電を普及させるために国が大きな補助金政策を行ったことから普及が一気に加速していきます。
この変化は、屋根材市場に大きな影響を与えました。
それまで金属屋根材は、主に東北地方や北海道などの積雪地域で使われることが多い屋根材でした。
金属屋根は軽く、雪にも対応しやすい一方で、太平洋側の都市部ではあまり積極的に使われていませんでした。
理由は、夏場に暑い、雨音がうるさい、戦後の昭和で多く使われた「トタン屋根」の安物イメージがあったためです。
しかし、金属屋根材の上に太陽光パネルを設置することで、この評価が変わります。
太陽光パネルが屋根面を覆うことで、金属屋根に直接日射が当たりにくくなります。
つまり、パネルが日陰をつくることで、金属屋根の暑さ対策になるのです。
また、雨が直接屋根材に当たる面積も減るため、雨音の問題も以前ほど気になりにくくなりました。
さらに、太陽光パネルを載せる場合、屋根全体の重量は重要な問題になります。
屋根材が重ければ、その上にさらに太陽光パネルを載せることで、建物への負担は大きくなります。
その点、金属屋根材は非常に軽量です。
太陽光パネルとの相性が良く、建物全体の重量増加を抑えることができました。
太陽光パネルが金属屋根の弱点をカバーし、太陽光パネルによる重量アップの弱点を金属屋根材の軽量性がカバーすることで、一気に金属屋根材が全国で普及し始めたのです。
この流れは、瓦の聖地とも言える三州(愛知県の西三河地区)にも及びました。
三州瓦の産地である愛知県西三河地域は、瓦屋根人気が根強い地域でしたが、三州地区でも金属屋根材が目立つようになっていきます。
そして金属屋根材は、新築だけでなくリフォーム市場でも急速に存在感を高めていきます。 その代表が化粧スレート屋根に対するカバー工法リフォームです。
カバー工法とは、既存の化粧スレートを撤去せず、その上から新しい屋根材を施工する方法です。
2000年以前の化粧スレートはアスベストを含有しているため、撤去にはアスベストの飛散を防ぐシールドサクション工法が必要であり、処分費用も高いことから、化粧スレートの上に粘着ルーフィングを施工し、その上から金属屋根材を施工する工法です。
アスベスト含有の化粧スレートを処分することなくリフォームできることから、金属屋根材による化粧スレートのカバー工法は屋根リフォームの商材としての地位が確立し、全国的に普及していきます。
平成後半からの屋根材市場では、「瓦か化粧スレートか」という競争はなくなり、軽い屋根材であることが屋根材選びの前提基準となり、瓦屋根が衰退し、金属屋根材が新たな主役となっていったのです。
次の屋根材シェアグラフは、住宅金融支援機構の屋根材シェア推移のデータです。
平成23年の東日本大震災を契機に金属屋根材が急速に普及し、平成29年には金属屋根材がトップシェアの屋根材になります。
5.まとめ:度重なる震災で軽い屋根が主役になった平成時代
今回のコラムのポイントは次です
化粧スレートは2000年を境にノンアスベスト化され耐荷重強度を落とした
化粧スレート問題を契機に防災平板瓦が市場に定着した
平板瓦に対抗するための新技術「グラッサ塗装」や新製品「ルーガ」が投入された
2000年代以降の住宅のローコスト化は屋根材の低コストを促進した
東日本大震災を契機に太陽光発電と軽量性を武器に金属屋根材が急速に全国で普及し始めた
平成時代に瓦業界は平板瓦を開発し、和瓦から現代住宅に合うデザインへと進化していきました。
しかし平成後半になると、アスベスト規制によるノンアスベスト化、震災による屋根重量への意識変化、太陽光発電の普及、リフォーム市場の拡大によって、屋根材の勢力図はさらに大きく変化しました。
東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故をきっかけに、太陽光発電が急速に普及し、太陽光発電の普及と軽量性を武器に金属屋根材が屋根材市場の新たな主役となっていきます。
昭和時代の屋根材に求められた価値は、耐久性や重厚感でした。
平成前半には、コストと施工性が重視されました。
そして平成後半には、軽さが屋根材の前提条件となり、屋根は軽くした方が良いという考え方が主流になりました。
平成時代は、屋根材に求められる価値が大きく変わった時代です。
この変化は、単なるデザインの流行ではなく、震災、環境問題、エネルギー政策、住宅市場の変化、リフォーム需要の変化などのさまざまな社会の変化により、屋根材の主役が変わっていったのです。
そして令和時代。
屋根材には、軽いことを前提としたうえで、耐久性、意匠性、防災性、環境性能をどう両立するかが求められるようになります。
和瓦が主役だった昭和から、平成の30年間で屋根材の前提条件が「軽い屋根」に変わった、大きな転換期だったのです。
これからも、この屋根コラムで後悔しない屋根材選びをするために、日本の屋根の歴史や技術、そして未来について、出来るだけ分かりやすく発信していきたいと思います。
