化粧スレートと瓦屋根がしのぎを削った平成時代(前編)
〜平成時代の屋根新ルール「屋根は主張しないこと」 〜
平成時代(1989~2019年)は、日本の住宅業界が大きく変化した時代でした。
昭和時代までの住宅は、地域の大工や工務店が一棟ずつ建てることが一般的でした。しかし平成になると、ハウスメーカーやパワービルダー、ローコストビルダーによる住宅供給が拡大し、住宅は「建てるもの」から「買うもの」へと変わっていきます。
また、バブル崩壊後の景気低迷により、住宅には低コスト化が求められるようになりました。
その結果、屋根材に求められる性能も大きく変化します。
それまで重視されてきた耐久性や重厚感よりも、
• コスト
• 施工性
• 軽量性
• シンプルなデザイン
が重視されるようになったのです。
こうした変化は、長い歴史の中で日本の屋根文化を支えてきた瓦業界にも大きな影響を与えました。
今回は、平成時代に瓦業界で何が起こったのかを、屋根技術者の視点から解説します。
1.バブルの崩壊とローコスト住宅の台頭
昭和後期、日本はバブル景気に沸いていました。
平成に入ってもバブル景気は続き、新設住宅着工戸数は平成2年(1990年)に平成時代で最高の170万戸を記録します。
これは昭和時代の記録も含めても過去3番目の高水準でした。
しかし1991年頃からバブル経済は崩壊し、日本は長い景気低迷期へと入りました。
ただ、住宅業界については低金利政策などによる持ち直しが有り、平成6年には157万戸、平成8年には消費税増税前の駆け込み需要で164万戸と住宅着工戸数は依然として高い水準を維持していました。
平成9年以降は金融不安や経済の停滞、デフレの進行などから110万戸台で低迷します。
そして、平成20年(2008年)のリーマンショックで住宅着工戸数は100万戸を越えることが出来なくなります。
次のグラフは平成時代における新設住宅着工戸数の推移です。
右肩上がりの成長の昭和時代と比べ、右肩下がりの低迷の時代が平成時代といえます。
このような経済の低迷と住宅不況の中で、2000年代前半に台頭してきたのがローコストを武器にした、タマホームや飯田グループといったローコスト住宅(ローコストビルダー・パワービルダー)です。
ローコスト住宅は、資材の大量一括仕入れや工期の徹底的な短縮(プレカットや規格化)によるビジネスモデルを確立しました。
工場であらかじめ木材を機械カットする「プレカット」や、金物工法などの技術を用いることで、現場の職人の腕に頼らず、「短期間で安く均一な品質の家を建てる」仕組みで地元の工務店や高価格帯の大手ハウスメーカーからシェアを獲得しました。
このローコスト住宅の流れが、屋根材業界の勢力図を大きく塗り替えることになります。
瓦屋根と比べて「コストが安く・施工が簡単・工期が短い・屋根が軽量・シンプルデザイン」な化粧スレートに主役が交代していくのです。
2.阪神淡路大震災で潮目が変わった屋根業界
1995年1月17日。
兵庫県南部地震、いわゆる阪神淡路大震災が発生しました。
震災では多くの住宅が倒壊し、その映像は全国へ放送されました。
当時の報道では、
「重い瓦屋根が住宅倒壊の原因」
というイメージが広く伝わりました。
実際には、
• 土葺き工法による重量増加
• 旧耐震基準の建物
• 筋交い不足
• 接合部の強度不足
など複数の要因が重なっていました。
しかし一般消費者には、
「瓦屋根は重いので地震に弱い」
という印象が強く残りました。
昭和から平成に入っても依然、屋根は瓦屋根が当たり前でしたが、この阪神淡路大震災を契機に和瓦離れが徐々に始まり、そして加速していきます。
平成に入っても阪神淡路大震災前は、地域によっては土葺き工法がまだまだ行われていました。
それぞれの地域の瓦職人たちは、昔ながらの工法に誇りをもっていたので、和瓦を土葺き工法で施工することが、最も綺麗に瓦を施工する方法としていましたが、この震災を契機に土葺き工法という伝統的な工法は表舞台から姿を消していくのです。
のし瓦を積む高い棟も和瓦の特徴でしたが、のし瓦同士を粘土で固め、銅線で周りを縛るだけの緊結方法では地震力に耐えることは出来ないことが明らかになり、地震にも耐えられる工法が求められました。
私自身も、あるハウスメーカーと一緒にのし瓦を積んだような意匠の冠瓦を開発した経験がありますが、この製品開発も阪神淡路大震災を契機に行われました。
次の図面は、私が当時開発していた「のし瓦を積んだような意匠の冠瓦」の断面図で、特許出願明細書に添付された図面になります。
この開発では、私が勤めていた瓦メーカーで白地を作り、他メーカーでいぶし瓦に焼成するという製品開発でした。
この開発のように、瓦業界も和瓦の耐震性改善などに尽力しましたが時代の流れには逆らえず、“高い棟を作り、大きな鬼瓦を付け、立派な瓦屋根を作る”のがステータスだった時代は終焉を迎えます。
次第に屋根には「軽量性」「施工性」「シンプルなデザイン」が求められるようになり、瓦業界は新たな選択を迫られることになります。
3.瓦業界における和瓦から平板瓦へのシフト
現在主流となっている平板瓦(F形)の市場を最初に切り開いたのは、宮政瓦工業という瓦メーカーでした。
明治時代に日本に入ってきたフレンチ瓦(ジェラール瓦)のデザインをベースに、現在の寸法規格である280mm(働き長さ)×306㎜(働き幅)の平板瓦を1980年代後半に製品開発し、販売していました。
ハウスメーカーは、瓦屋根の耐久性の高さは評価していましたが、和瓦の和風デザインが住宅の洋風デザインにマッチしないと考えていました。
また、和瓦を採用するには瓦割りが必要になることもハードルの一つでした。
これらの課題が、すっきりとしたデザインで屋根に合わせて瓦を加工し納めることが出来る平板瓦は、ハウスメーカーのニーズと合致し、多くのハウスメーカーがこの平板瓦を採用します。
平成の初期の頃、瓦業界にはある神話がありました。
それは「デザインの流行は一過性のもの。すぐに廃れて結局は和瓦に戻る」という神話です。
これは、スパニッシュ瓦を原形としたS形瓦という洋風瓦が洋風デザイン志向とマッチし、昭和後期に流行したのですが数年のブームの後、和瓦に戻った経験から言われていたことです。
私はこの神話には瓦業界の願望が強く入っていたように感じます。
この平板瓦は、焼成工程が和瓦の生産設備では生産出来ないので新たな設備投資が必要な事と焼成工程において生産効率が非常に悪いという二つの課題がありました。
一方の和瓦は、生産ラインとして完成度が高く、焼成工程においても生産効率の高さは他の窯業製品と比べても際立っていました。
そのため、宮政瓦工業以外の瓦メーカーは、和瓦に戻るという神話を信じて平板瓦の動向を様子見していました。
しかし、平成6年~8年にかけて宮政瓦以外の瓦メーカーが設備投資を行い、平板瓦の生産を始めます。
既に多くのハウスメーカーで宮政瓦工業の平板瓦がスペックされていたので、宮政瓦工業の平板瓦が事実上の業界標準(デファクトスタンダード)になり、他の瓦メーカーも同じ仕様の平板瓦の生産を開始します。
次の写真は、宮政瓦工業の平板瓦です。
我が家のお隣さんの屋根が宮政瓦工業の瓦屋根なので、家の2階の窓から至近距離で撮影しました。ハウスメーカーのオリジナル瓦として販売されていた平板瓦になります。
当時の瓦業界では、製品開発という部門がありませんでした。そのため、私が勤めていた会社では平成6年~7年にかけて平板瓦開発プロジェクトを立ち上げ、平板瓦の開発に取り組みました。
私はそのプロジェクトに参加し、プロジェクトでは主に役瓦の開発をメインで進めていました。
その時に阪神淡路大震災が起こり、和瓦の販売不振を目の当たりにします。
平成8年にS形瓦を生産していた設備を改造し、平板瓦は完成してそのプロジェクトは解散したのですが、このプロジェクトの経験から、顧客ニーズにマッチした製品を開発しなければ将来的に会社は立ち行かなくなると考え、平板瓦開発プロジェクトの責任者だった会社役員と一緒に製品開発とハウスメーカーへのスペック営業を行う部門を立ち上げることになります。
平成時代の前半で瓦業界(特に三州の瓦メーカー)は、急速に和瓦から平板瓦へのシフトを余儀なくされ、対応していくことになります。
次のデータは住宅金融公庫が平成14年に出した 「平成14年度 公庫融資住宅の仕様について」という資料の屋根に関するデータの抜粋です。
このグラフから、平成7年度では全体で19.5%の和瓦が7年後の平成14年度では8.2%まで減少しています。
一方、平板瓦は平成7年度では全体で7.9%が7年後の平成14年度では34.4%まで上昇し、和瓦と平板瓦が逆転しています。
平成14年度以降はこの逆転現象が更に顕著となり、和瓦の新築での採用が大きく減少し、リフォーム主体の屋根材に変わっていきます。
4.瓦業界の製・販・工のシステム解体と化粧スレートとの競争
平成時代の変化は屋根材だけではありませんでした。
瓦業界を支えてきた流通構造そのものも変化していきます。
昭和時代までの瓦業界は、
• 製造(瓦メーカー)
• 販売(瓦問屋)
• 施工(屋根工事店)
が密接に連携し、お互いのテリトリーには干渉しないといった業界構造を持っていました。
この構造を支えていたのが和瓦です。
和瓦は、瓦メーカーが変わっても同じ形状であり、同じ形状なので遠隔地へは大量輸送することで輸送コストが下げられ、瓦職人の技術がないと施工が出来ないという屋根材だったので、和瓦がメインの瓦業界では、製・販・工のシステムが有効だったのです。
しかし、瓦屋根が和瓦から平板瓦にシフトしていくことで、瓦業界の製・販・工のシステムが機能しなくなります。
平板瓦は、瓦メーカーごとに形状が異なっていました。また、1棟ずつ必要な瓦をピッキングし配送する「邸別配送」という流れが主流になってきました。
また、平板瓦は施工マニュアルがあり、施工マニュアル通り施工すれば施工が出来る屋根材であり、これまでの瓦職人の技術を活かすのが難しい屋根材でした。
昭和までの瓦業界は、メーカー・問屋・施工店がそれぞれ役割分担することで成り立っていました。しかしハウスメーカー主導の時代になると、住宅会社が屋根材選定の主導権を握るようになります。
その結果、和瓦から平板瓦にシフトし、平板瓦がメインの屋根材になったことで、瓦業界における製・販・工のシステムが解体したのです。
長い歴史の中で築かれてきた瓦業界の仕組みは、平成時代に大きな転換期を迎えたのです。
また、平成時代の住宅市場で急速にシェアを伸ばした屋根材が化粧スレートでした。
“軽量”で“施工性が高く”、“工期が短く”、“価格も瓦屋根より安価”で“デザインがシンプル”という化粧スレートは、パワービルダーや大手ハウスメーカーで好まれ、多くのハウスメーカー、ビルダーで標準屋根材になりました。
化粧スレートが平成時代の屋根の主役になり、その主役の座を追いかける形で開発され屋根材が平板瓦でした。
瓦屋根は、江戸、明治、大正、昭和とずっと日本の屋根の主役でしたが、平成になって主役交代が行われるのです。
次のデータは、【フラット35】住宅仕様実態調査報告(令和5年度)です。
住宅金融支援機構の【フラット35】の設計検査を受けた新築一戸建て住宅(木造軸組工法の住宅に限る。)について、住宅の構造をはじめ、基礎、壁、柱、屋根等、住宅全体の主要部位が、実際どのような仕様で計画されているかを調査したデータになります。
この図は、令和5年までの屋根材シェア推移データでしたが、今回は平成時代のみで表示しています。
図を見ると、平成14年度と平成29年度以外は化粧スレートがトップシェアを持っていたことが分かります。
昭和時代までの瓦業界は、瓦が主役であることを前提とした仕組みでした。しかし平成時代は、その前提そのものが崩れ、瓦から化粧スレートに主役の座が交代した時代だったのです。
5.まとめ:瓦業界の変化と衰退がはじまった平成時代
平成時代は、日本の住宅に求められる価値観が大きく変わった時代でした。
それまで主流だった瓦屋根から、コスト・軽量性・施工性・シンプルデザインが重視された時代です。
本コラムのポイントは次です。
ローコスト住宅の台頭が化粧スレートのシェア拡大を後押しした
阪神淡路大震災を契機に「瓦屋根は重いので地震に弱い」という印象が残った
阪神淡路大震災から和瓦離れが徐々に始まり加速していった
ハウスメーカーは、施工性が高く、すっきりしたデザインの平板瓦を採用したことで、和瓦から平板瓦へのシフトが始まった
和瓦から平板瓦へのシフトにより瓦業界の製・販・工のシステムが解体した
阪神淡路大震災をきっかけに、瓦業界は厳しい環境へと置かれることになりました。
平板瓦の開発など新たな挑戦も行われましたが、瓦離れの流れを止めることは容易ではなく、化粧スレートに主役の座を明け渡すことになりました。
飛鳥時代から日本の屋根文化を支えてきた瓦は、平成時代に大きな転換点を迎えたのです。
次回の後編では、化粧スレートの無石綿化、防災平板瓦の開発、リーマンショックや東日本大震災を契機とした金属屋根材への更なる主役交代について解説します。
これからも、この屋根コラムで後悔しない屋根材選びをするために、日本の屋根の歴史や技術、そして未来について、出来るだけ分かりやすく発信していきたいと思います。
