昭和の住宅の屋根はなぜ瓦屋根だったのか?瓦屋根が主役となった時代を技術者が解説

昭和の住宅の屋根はなぜ瓦屋根だったのか?瓦屋根が主役となった時代 日本の屋根の進化|一般施主向けコラム

瓦屋根が住宅の屋根で主役だった昭和時代

〜昭和時代の建設ラッシュと瓦工業化による瓦屋根の全盛期〜

日本の住宅街を思い浮かべると、黒や銀色、青色、緑色、赤茶色など、地域や時代によっていろいろな色の瓦屋根の風景をイメージする方が多いのではないでしょうか。

実際に昭和時代の日本では、瓦屋根が住宅の屋根材として広く普及し、多くの家庭で採用されました。

飛鳥時代に仏教建築とともに伝わった瓦屋根は、奈良時代には国家権力の象徴となり、安土桃山時代には城郭建築を彩りました。

しかし長い歴史の中で、瓦屋根が最も多く使われたのは昭和時代だったと言えるかもしれません。

なぜ昭和時代に瓦屋根がここまで普及したのでしょうか。

今回は、戦後復興から高度経済成長期にかけての住宅建設ラッシュと、瓦の工業化による大量生産の歴史を技術者の視点から解説します。

1.戦後の復興から高度経済成長の時代

第二次世界大戦後、日本では深刻な住宅不足が発生しました。

焼失した住宅の再建に加え、人口増加や都市部への人口集中によって新しい住宅が大量に必要とされたのです。

昭和30年代から40年代にかけて日本は高度経済成長期を迎え、人々の暮らしは大きく変化しました。

所得の向上により「いつかはマイホームを持ちたい」という考え方が広がり、全国各地で住宅団地や新興住宅地の開発が進みました。

この住宅建設ラッシュは、屋根材産業にとっても大きな転機となります。

昭和になると核家族化が進み、世帯数の増加に伴って全国各地で住宅地の開発が行われました。

新築住宅着工戸数という数字があります。

「もはや戦後ではない」と経済白書に載った昭和31年の住宅着工戸数は30万戸でした。

昭和35年の所得倍増計画などもあり、景気は右肩上がり、住宅着工戸数も右肩上がりの成長を続けます。

第1期住宅建設5か年計画が出された翌年の昭和42年には初の100万戸突破となりました。

つまり、約10年の間で住宅着工戸数は3倍になったのです。

この3倍という数字は今の感覚からは想像できない数字だと思います。

このあとも新築住宅着工戸数は増え続け、昭和48年にピークを迎え、新築住宅着工戸数は191万戸を記録します。

その後はオイルショックの影響も受けながら、着工戸数は上がり下がりを繰り返しますが、毎年100万戸以上は住宅が建ち続けていました。

そして昭和63年に昭和は終わりを迎えますが、昭和63年(1988年)の新築住宅着工戸数は166万戸でした。

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表:昭和時代の新築住宅着工戸数

昭和時代は、大量の住宅を建設するために安定して供給できることが、屋根材として求められていたのです。

2.瓦の工業化による大量生産の時代

昭和時代の瓦産業を語る上で欠かせないのが工業化です。

明治、大正と瓦の製造は手作業が主流でした。

しかし、建築ラッシュが始まり、屋根材の需要が爆発的に高まったことにより、瓦の製造現場に近代化の波が押し寄せます。

それまでの瓦づくりは、粘土を足で練り、手作業で成形し、天日干しや窯焚きも人の経験と労力に頼る重労働でした。

しかし大正時代から機械化が始まり、土錬機や荒地出し機、プレス機が次々と開発されます。

さらに昭和30年には真空土錬機が登場し、品質の安定化と生産効率の向上を実現しました。

瓦づくりにおいて最も重要な工程の一つが焼成です。

従来は窯に瓦の生地を積み込み、焼成後に冷却を待って取り出すという方法が長年続けられてきました。

しかし、昭和時代でこの常識は大きく変わりました。

「トンネルキルン(トンネル窯)」の導入です。

私は、瓦の歴史の中で西村半兵衛の桟瓦の開発に並ぶイノベーションが、東洋瓦工業の黒田真一さんによるトンネルキルンによる釉薬瓦の量産化だと思っています。

黒田さんは、それまで塩焼き瓦という瓦を作っていましたが、トンネルキルンで連続焼成するには釉薬瓦(陶器瓦)の方が適していました。

東洋瓦の塩焼き瓦工場が全焼したという不幸な出来事があったのをきっかけに、ピンチをチャンスに変えるべく、釉薬瓦をトンネルキルンで焼成するというチャレンジを行ったのです。

最初は全く製品が出来ずに瓦を焼いては捨てるという繰り返しだったようですが、やがて良い製品が効率よく生産できるようになりました。

トンネル窯は、長いトンネル状の窯の中を台車に載せた瓦がゆっくり移動しながら、予熱・焼成・冷却を連続的に行う設備です。

これにより、従来のように1窯ごとに窯詰めし、焼成、冷却、窯出しをする必要がなくなり、連続生産が可能となったのです。

トンネルキルンでの焼成技術を確立した後、黒田さんはある行動をとります。

それは、トンネルキルンでの焼成技術の公開です。

瓦業界が発展するには、自社だけの技術にしてはいけないと考え、他産地にまで技術指導に出かけました。

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図:瓦の量産化を実現した黒田さんのイメージ図【】

※本イラストは当時の資料をもとに作成したイメージであり、人物や工場の外観、トンネルキルンでの焼成工程を正確に再現したものではありません。

 

トンネル窯の最大の特徴は、省力化や大量生産だけではありません。

窯内の温度管理を精密に行えるため、従来の窯で課題だった焼きムラや品質のばらつきが大幅に改善されました。

このイノベーションにより、高品質な瓦を大量生産できるようになったのです。

現在の自動化された瓦工場の生産ラインは、このトンネル窯の普及によって築かれたと言っても過言ではありません。

トンネル窯は昭和の住宅建設ラッシュを支えた、瓦産業の大きなイノベーションだったのです。

3.プレハブ住宅と新生屋根材

昭和後期になると住宅産業はさらに発展し、プレハブ住宅メーカーが急速に成長します。

工場で部材を生産し、現場で組み立てる住宅は、従来より短期間で品質の安定した住宅を建設できることから、少しずつシェアを伸ばしていきます。

生活スタイルや風水なども考慮しながら間取りを考え、家を設計し、地鎮祭、上棟式などを行いながら大工さんと一緒に半年、一年と時間をかけて建てる「家を建てる時代」から、工場でプレカットされ、工場でパネルやユニットを作り、現場で組み立てる「家を買う時代」に変わっていったのです。

この住宅の工業化で大きく変わったのが屋根です。

瓦屋根の家では瓦の割り付け(瓦割り)は、家の設計において最初に行う工程でした。

瓦は焼き物であり、形状、寸法がすべて決まっているので、瓦の割り付けがぴったりと決まる屋根下地を設計する必要がありました。

軒の出、破風の出を調整し、瓦がぴったりと綺麗に割り付けが出来るように屋根下地を作る工程が瓦屋根には必要だったのです。

この瓦割りが不要になる屋根材が昭和35年に日本へ技術導入された化粧スレートです。

アメリカのジョンズ・マンビル社(Johns-Manville)から技術を導入し、翌年の昭和36年(1961年)に「カラーベスト・コロニアル」として国内初となる本格販売を開始したのが始まりです。

これまでの瓦屋根とは違う新たに作られた屋根材ということで昭和時代では「新生屋根材」といわれていました。

住宅建設ラッシュが続く中、屋根材として求められたことは「早く、安く、大量に作れる建材」でした。

瓦屋根は、施工は瓦職人の熟練した技能が必要であり、施工には手間が掛かり工期も長いのが当たり前でしたが、化粧スレートは、瓦割りも無く、軽くて、施工が簡単であり、職人の熟練した技能が無くてもマニュアル通りに施工すれば屋根を完成出来たのです。

化粧スレートは、屋根の形状に合わせて屋根材を加工して施工するので瓦割りのように屋根材の割り付けから屋根下地を作る必要がないのです。

この瓦割りが不要という住宅設計の簡略化は工業化を進めるプレハブメーカーに刺さりました。

住宅の工業化が進み、新生屋根材が普及していくことで屋根の作り方が変わっていったのです。

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図:家を建てる時代から家を買う時代へ

4.昭和時代は瓦屋根が当たり前だった時代

昭和30年代~50年代は、瓦屋根が当たり前の時代でした。

地域によっては、瓦屋根以外の選択肢がほとんど無い時代だったと言っても過言ではありません。

勿論、多雪地域などでは瓦屋根は使われずに板金屋根が使われていたりしていましたが、この時代の屋根の主役はやはり瓦屋根です。

ちなみに瓦屋根は色のブームがあります。

「青緑(せいろく)」という瓦の色は昭和40年代に大流行しました。

「ハイシルバー」という色は昭和50年代に大流行しました。

今でも古い住宅地に行くと「青緑」の屋根を多く見ることが出来ます。

次の写真はグーグルアースでの写真です。

写真に写っている青色の瓦屋根が「青緑」です。

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写真:昭和40年代に大流行した瓦屋根「青緑(せいろく)」

屋根を見るだけで、その家が何年頃に建てられたかを想定することが出来るのです。

そんな瓦の時代は昭和時代が最後となります。

瓦屋根は耐久性に優れ、美しい外観を持ち、日本の気候にも適した屋根材として高く評価されていました。

しかし、現在では金属屋根や化粧スレートなどの軽量屋根材が普及し、主役の座を奪われますが、その話は、平成、令和に任せたいと思います。

昭和時代は瓦屋根が主役であり、瓦屋根が圧倒的な存在感を持っていたことが分かります。

5.まとめ:昭和の住宅の屋根は瓦屋根が主役だった

今回のコラムのポイントは次です。

    新築住宅着工戸数は急増し、昭和48年には191万戸を突破した

    住宅の大量供給を支えたのが瓦の工業化だった

    トンネルキルンの導入により瓦屋根は昭和時代の屋根の主役になった

    家を建てる時代から家を買う時代になり、瓦から化粧スレートに変わっていった

    昭和時代は瓦屋根が当たり前の時代で、瓦屋根の色により建築の年代が分かる

昭和時代は、戦後復興と高度経済成長によって住宅建設が急速に進んだ時代でした。

その中で瓦産業は工業化を進め、大量生産によって多くの住宅へ瓦屋根を供給しました。

また、プレハブ住宅や新しい屋根材の登場によって住宅産業は大きく発展しましたが、昭和時代の住宅の主役は依然として瓦屋根でした。

昭和時代は、飛鳥時代から続く瓦文化が最も大きく花開いた時代だったのです。

 

これからも、この屋根コラムで後悔しない屋根材選びをするために、日本の屋根の歴史や技術、そして未来について、出来るだけ分かりやすく発信していきたいと思います。

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筆者紹介

ルーフ エンジニア 小栗
甍エンジニアリング株式会社 代表取締役社長/屋根発明家/「タイルーフ」開発者

屋根の技術に携わり37年。

これまで多くの屋根材を開発してきた屋根技術者で防災平板瓦を発明し日本の発明家46位にランキングされた経歴がある。

これから家を建てる方、屋根のリフォームを考えている方に、屋根に興味を持ってもらい、後悔しない屋根選びをして欲しいという思いから「屋根コラム」の執筆をスタートした。

出来るだけ分かりやすく科学的な根拠を持った屋根コラムを心がけている。

屋根に関する様々なことを定性的、定量的に捉え、屋根の技術者として「こだわりの屋根コラム」を高い熱量で執筆している。

1966年10月生まれ・天秤座・O型。

趣味は音楽制作・楽器演奏・歌唱。バンドではベース、ボーカル等を担当。演奏楽器はギター、キーボード、ハーモニカ、ウクレレ、三線など多岐にわたるマルチプレーヤー。楽曲製作では、作詞、作曲、アレンジ、打ち込み、演奏、録音、ミックス、マスタリングと全ての制作プロセスを一人で行う。

好きなミュージシャンはプリンス、XTC、コステロ、デビッドボウイ、カーズ、ELO、EW&F、佐野元春、大滝詠一、坂本龍一、YMO、山下達郎、星野源など多数。

ルーフ エンジニア 小栗

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