大陸からの最新屋根技術、日本に瓦屋根が生まれた飛鳥時代
〜飛鳥時代に大陸から来た4人の瓦博士が日本の瓦屋根文化の始まり〜
縄文時代、弥生時代の日本の屋根は草や木を利用した草木系の屋根材でした。
そして飛鳥時代になり、日本の屋根の歴史が大きく変わる出来事が起こります。
それが、仏教と共に大陸から伝来した「瓦屋根」です。
瓦屋根は単なる新しい屋根材ではありませんでした。
そこには、寺院建築技術、防火思想、耐久思想、都市文化など、当時の東アジア最先端の文明が詰め込まれていたのです。
今回は、日本の屋根史の中で、大きな転換点となった飛鳥時代の瓦屋根について解説します。
※細かい話をすると飛鳥時代は西暦592年の推古天皇の即位からという説がありますので、瓦屋根が伝わったのは正確には飛鳥時代になる少し前だと思われます。しかし、そのあたりをひっくるめて飛鳥時代としていることをご了承ください。
1.飛鳥時代に仏教と共に伝来した最新建築技術
飛鳥時代の始まりは、日本が東アジア文明圏へ本格的に参加し始めた時代でした。
当時の日本では、
• 茅葺屋根
• 板葺屋根
• 樹皮葺屋根
などが主流で、建物は自然素材によって作られていました。
しかし6世紀後半、百済を通じて仏教が伝来すると、日本には宗教だけではなく、大陸の高度な建築技術も一気に流入します。
寺院建築と共に伝来した屋根材が「瓦」であり、日本に瓦屋根文化が始まったのです。
瓦は粘土で成形し、乾燥させた後に焼成によって作られる焼き物の屋根材です。
焼成工程で焼き固めているので今までの草木系の屋根材と比べ瓦は、
• 火に強い(防火性能)
• 雨に強い(耐水性能)
• 腐食しない(耐久性能)
という特徴を持ち、寺院建築には理想的な屋根材でした。
仏教寺院は「永く残る建築」であることが求められます。
当時の瓦屋根は高級屋根材でしたが、単なる高級屋根ではなく、「永続性」を象徴する技術でもあったのです。
また、この頃には、
• 柱と梁による木造建築技術
• 礎石建築
• 深い軒を持つ建築様式
• 反りを持つ美しい屋根形状
なども同時に伝来しました。
つまり飛鳥時代は、日本の建築が「雨をしのぐだけの建物」から、「思想や文化を支える建築」へ進化し始めた時代とも言えるのです。
2.飛鳥寺と法隆寺を1400年守り続けた瓦屋根
日本初の本格仏教寺院とされる 飛鳥寺 は、西暦588年頃から作り始め、8年の歳月をかけて西暦596年頃に建立されたと言われています。
この寺院には、日本で初めて本格的に瓦屋根が採用されました。
その後建立された 法隆寺 は、現存する世界最古級の木造建築として知られています。
法隆寺の建築が1400年以上残り続けている理由には、
• 木材の品質
• 優れた木組み技術
• 地震エネルギーを受け流す柔構造
など様々な理由があります。
しかし、その建物を長年雨から守り続けたのは、間違いなく「屋根」の存在です。
特に法隆寺の特徴である深い軒は、
• 雨を柱や壁へ当てにくくする
• 木材の腐朽を防ぐ
• 紫外線劣化を抑える
など、建物寿命を大きく伸ばす役割を果たしています。
深い軒で雨から建物を守るのは弥生時代の高床式住居とも共通していますが、瓦屋根の一番の違いは屋根材の耐久性です。
飛鳥寺、法隆寺の屋根も高さがあります。
法隆寺の五重塔においては32mもの高さがある巨大建築です。
これだけの高さの屋根はおいそれとは葺き替えられません。
しかし、腐った屋根では雨を防ぐことが出来ずに建物本体を傷めてしまいます。
つまり、最も自然環境が過酷な屋根を高耐久にすることは、建物を長持ちさせるのに非常に有効だと考えられ、当時の最先端高耐久屋根として寺院建築には瓦屋根が採用されたと思われます。
あと、木造建築にとって火災も非常に怖い敵です。
飛鳥時代の人々は、瓦屋根によって建物を火災から守ろうとしていたのです。
つまり瓦屋根は、美観だけではなく、
「建築を未来へ残すための技術」
として採用されていたと言えるでしょう。
3.瓦を伝来した瓦博士はなぜ4人もいたのか?
瓦は飛鳥時代に「瓦博士」から伝わったと言われていますが、その「瓦博士」は4人の技術者集団でした。
瓦は屋根材であり、建築のための材料のひとつです。
瓦単体では雨を防ぐことは出来ません。
瓦を瓦屋根にするためには、瓦を製造する技術だけでなく
• 瓦を施工する技術
• 屋根形状を設計する技術
• 建築全体を成立させる技術
などの技術が必要なのです。
つまり瓦屋根とは、「瓦を焼けば完成」する技術ではなく、多くの専門技術の組み合わせによって成立する総合建築技術だったのです。
瓦屋根を作る技術は、建築技術の中の重要な一部です。
特に瓦屋根の場合は、屋根を作る際に「瓦割り」という工程が必要になります。
「瓦割り」は、瓦の割り付けを設計し、その瓦の割付に合わせて屋根を作る工程です。
茅葺などの草木系は、この「瓦割り」という工程は不要だったので、当時の日本にとって瓦屋根を作る技術は本当に未知の技術だったと思います。
大陸の高度な建築技術を日本で確立するために
• 寺工(建築技術者)
• 瓦博士(瓦技術者)
• 画工(彩色技術者)
など、多くの専門家が来日したとされています。
これは現代で言えば、
「最新工場を技術者ごと輸入した」様なものかもしれません。
特に瓦屋根は、
• 重量が大きい
• 雨仕舞いが必要
• 耐久性が求められる
ため、高度な設計・施工技術が必要であり、それらの技術を伝える為に4人の「瓦博士」が必要だったのです。
4.飛鳥時代の瓦屋根は今も現役屋根材として活躍中
西暦596年、日本で最初に瓦屋根を導入した建築物の飛鳥寺が建立されました。
この飛鳥寺は、西暦718年に奈良へ移転され元興寺と名前を変え、現在も活躍しています。
私も屋根業界に身を置くものとして元興寺に行って飛鳥時代の瓦を見てきました。
下の写真が元興寺の屋根の写真です。
色が変わっている部分が飛鳥時代の瓦です。
1400年以上、元興寺(飛鳥寺)を守ってきたこの瓦たちは、4人の瓦博士が日本に来て最初に作った瓦屋根なのです。
ちなみに元興寺を歩いているとこんな看板があります。
で、後ろを振り返ると、1400年前の瓦屋根を見ることが出来ます。
この屋根にロマンを感じてしまうのは私が屋根マニアだからでしょうか。
瓦屋根が誇る
• 雨から建物を守る
• 火災に強い
• 長寿命である
• 建物の価値を長く守る
という性能を体現しているのが、元興寺の屋根瓦なのです。
ちなみに、そんな元興寺の瓦にロマンを感じつつ、4人の瓦博士を超える為に開発した屋根材が「タイルーフ」です。
1400年前の瓦博士たちが未来へ屋根を残したように、「タイルーフ」も未来へ残る屋根になって欲しい。
そんな想いで「タイルーフ」を開発しました。
「タイルーフ」というプロダクトは出来ました。
しかし、まだ「タイルーフ」を循環させる仕組みや施工体制、それを維持・改善していく組織づくりがこれからの課題です。
4人の瓦博士の様に「タイルーフ」を未来に残る屋根にするために、走り続けたいと屋根ロマンチストのルーフエンジニア小栗はこのコラムを書きながら思うのでした(笑)
5.まとめ:飛鳥時代の屋根が証明する瓦屋根の耐久性
飛鳥時代、日本は仏教と共に東アジア最先端の建築技術を受け入れました。
その中でも瓦屋根は、次の優れた性能を有しています。
高温焼成した不燃材としての防火性
焼き物が持つ高い耐久性
変わらぬ瓦の永続性
反り屋根などの建築美
を兼ね備えた革新的な技術でした。
そして元興寺(飛鳥寺)や法隆寺は、1400年以上という時間を超えて、今もその姿を残しています。
飛鳥時代の瓦が現役で今も元興寺の屋根を守り続けているのは凄いことだと思います。
建物を雨や紫外線から守り、長く安心して暮らせる住まいを支えること。
飛鳥時代の瓦屋根は、その原点を今も私たちに教えてくれているのかもしれません。
これからも、この屋根コラムで後悔しない屋根材選びをするために、日本の屋根の歴史や技術、そして未来について、出来るだけ分かりやすく発信していきたいと思います。
